25歳になってみたら死ぬ黒歴史

今見返すと卒業文集痛いでしょ?そんなもん。

エモいという言葉は麻薬

最近の若者は感傷に浸る時にやたらと「エモい」という言葉を使う。私もそのひとりだ。正直どれがエモいか、これはエモくないのか、などの判断はできない。しかし、その言葉を使ってしまうのだ。この言葉には言語能力を破壊する見えない力が働いている。

エモいという言葉を嫌う人も少なくない。わしが見たある記事かブログかは忘れたが、lofi?という音楽のジャンルが嫌いだ。という内容だったと思う。そこにはこう書いてあった。

『「エモい」は思考の停止だ。それは何のどういうところになぜ心惹かれたのかを全く語ろうとしない。ちょっと雰囲気だけお洒落な視覚情報にとかく若い人はエモいと言いたがる。
事後にタバコを吸ってる若い女性を、適当なレトロなフィルターをかけて撮った写真のどこが「エモい」なのか?Lo-fi Hip Hopの志向するレトロで気だるげなビジュアライズにはその安っぽいエモさを感じ、実際、音楽もロクに聴いてない若者がそれを見て「エモい」という。ここが地獄でなくてなんなのか。』

正直筆者の気持ちは痛いほど分かる。アニメで言うと、高畑勲の映画を考察せず感動で終わらすとかそんな感じだろうか。

しかし、音楽の場合は基本若者は耳から耳へと通り抜けていく。なぜなら、演奏者や、プロではない若者が多いからだ。普通の若者は音楽を咀嚼する必要が無い。ガムを飲み込まないように、エモいという味をただ噛んでエモいという感情に浸れたら、そのガムを捨てればいいのだ。

また、事後のタバコのどこがエモいのか?ということを書いていたが、まさにそれがエモいのである。この言葉に深い意味を持たせるのがおかしいのだ。なぜなら、このエモいは「やばい」という言葉と同じ性質でしかないらだ。エモいに説明を求めるのが野暮なのである。

題名に書いた通り、エモいという言葉には不思議な依存性がある。今まで感傷に浸るという行動を言語化するのはとても難易度が高かったと思う。ある程度の知識がなければ出来なかった言語化することによる快感を、「エモい」という言葉によって、何も考えてない人達に与えてしまったのだ。先程紹介した文にエモいという内容を全く語ろうとしないと書いてあったが、語ろうとしないのでは無い、語れないのである。多分、先程の筆者さんは頭が良い。頭が悪くても言語化できるだろと言う人もいるかもしれないが、頭が悪い人がそもそも「感覚的エモい」を言語化するわけがないのだ。そういう発想がない。なぜなら、エモいという言葉は簡単に皆の共通理解を得られてしまうからだ。それによって、言語化する必要がなくなり、本当は理解なんてしていないのに共通理解になってしまっている。

しかし、このエモいという言葉、本当に使いやすい。本来、共有する時に語らなければいけなかった様々な言葉が、たった3文字でみんなが理解してくれているようになってしまった。なので、この言葉の依存性は計り知れない。特に、SNSが発達したこの世界では。

これによって、音楽だけではなく、映像や文芸などの芸術までもがエモいという言葉に依存していくことが悲しくもあり、「エモい」という言葉の世界が好きなのでもっと広まって欲しさもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの、筆者さんの引用って犯罪じゃないよね?大丈夫だよね。

あ、僕はエモいという言葉使いまくるよ!!!